コインの裏と表
最近よく思います。
一つの物事には必ず、裏と表、二つの側面を併せ持っているんだなって。それらは表裏一体で、とても似ている状態なんだななんて感じています。
例えば、一人の人を例にとっても、いい人、悪い人はどこからどう見るかで変わりますし、
同じ人でも気分が良ければいい人で、気分が悪いと悪い人なんて事もあるだろうし、
はたまた、外ではとってもいい人を装っても、お腹の中は真っ黒なんてこともありますよね。
すごく好きな物に出会ったーと思って、興奮していても、いつか熱が冷めて、あれ?これ必要?ってなる時もあるだろうし、スポーツやビジネスなど成績を残して頑張っていても、行き過ぎると捉われの視点になり、本当のやりがいを見失うなんてこともある。
だから、私は最近色々な物をお伝えする時に、こんな言い方をします。
「Aでもあるし、Bでもある」 このAとBはいわゆる反対の関係を表す意味。
陰陽の視点を持つと全ての事がそう見えてきます。
どちらか一方の極の意見を表明する時、対立する構造を作りだし、それがまた本質を隠すトリックになり得るなと思うのです。
よく言われるのが、「戦争、絶対反対!」この強すぎる意見が対立を生み、新たな戦争が生れる、と。
こちらの知らないマトリクスの中に身を置く相手にとって、戦争は正義だったりするのですよね。
物事に絶対なんてあるのだろうか。と思ってしまいます。
では、結局戦争は「許されない部分もあり、そうせざるを得なかった部分もある」
いくら反対だと思っていても、責められた時、丸腰で臨むわけにもいかない訳で。
で、結局はどっちつかずの曖昧さがボワンと漂うわけです。
でも、一人一人が全員違うこの世の中において、本来曖昧さがあって当たり前で、それを一つの単位にまとめる事って、実は不自然なはずですよね。
とは言いつつ、全員が好き勝手生きる世界が承認されていいかというと、そういう訳にもいかず、ある一定の秩序が必要で…と曖昧なボワンが漂うわけです。
だけど、最近は極論を強く言う人に対して、言い切る人に対して、スポットライトが当たっているように感じます。自分で考えるよりも楽だから、誰かの意見を採用する事を常とする場面が多いのかもしれません。
自分の知らない世界を覗く時、誰かの意見を参考にする必要もあるから、それらが必ずしも、悪いとは思いません。だけど、誰かの意見をそのまま採用する事と、誰かの意見を参考に自分なりの答えを見つける事って、全然違う事。
ここら辺を曖昧にして、誰かの意見にそのまま乗っかり、大きな声で叫ぶ人って多いのかなって思っています。
あなたの中にも、「絶対、こうだ!」と言い切れる事ってありますか?
言い切ってしまう事で、その裏側に潜む考え方を隠してしまっている事ってないでしょうか?
コインはいつも表裏一対。
どちらの意見も認める事で、どっちつかずになるように見えて、実はどちらの意見もわかってあげられて、器が広げられると思っています。
ぜひ、その裏側に潜む気持ちや意見、考え方に触れる事で、今まで以上に器を大きくしてくださいね。