私が白衣を脱いだ理由

私はもう20年薬剤師として働いています。国家資格を持っていると、それ以外の仕事をするって、少し勇気がいる事です。資格を使った労働でも十分お金はいただけるし、新たに何かを発信するって、現状よりもすごくエネルギーを使う事。だからフリーランスとして活動を始めた時は、薬剤師さんなのにもったいない、と言われる事も多かったです。
患者さんとお話しするのは大好きなので、今も週に1度だけ薬剤師として白衣を着ています。

でも、今から3年くらい前に週4日勤務のパート薬剤師として日々を過ごす事を辞めました。薬膳の事をもっと勉強したいって理由が一番でしたが、気持ちの上ではこんな風に感じていました。

白衣の「薬剤師さん」としてではなくて、自分の名前「中垣英美さん」として生きていきたいなと。
長い事同じ薬局で、毎月会う患者さんがいても、私たちはなかなか名前を覚えてもらえません。たくさんいる薬剤師さんの内の一人。勤務時間外にスーパーでばったり患者さんに会ったとしても、「白衣じゃないと誰だか分らなかったよ」なんて言われる事もしばしば。そのうちに、外で見かけても自分から挨拶する事を遠慮してしまうようになりました。

薬剤師として働き始めて15年以上。仕事としては新たなステージが用意されている事もなく、ただこなすように過ぎる日々。私の人生、後数十年、これでいいのかなって、だんだんと疑問が生れてきました。

出産、育児、社会復帰、保育園ママ、家庭のお母さん、色々な顔を経験して世の中のワーキングマザーの当事者になり、社会の仕組みのひずみの様な物も色々考えさせられました。
中でもショッキングだった事は、都市部に行けば行くほど、保育園の入園や、職場復帰に合わせて自分の出産時期をデザインする人が多い事。子供を授かるという言い方をする人はほとんどいなくて、みんな、子供を作るって表現する事。

医療現場にいると、近年、生も死もお金でコントロールする時代なんだな、少し荒々しい言葉ですが、誤解を恐れず言うと、そんな風にも感じてしまいました。もちろん、全ての医療を否定したいわけではないし、素晴らしい医療技術は必要な人にきちんと届いてほしいと切に願っています。

だけど、社会のシステム、歯車の中でだけ動かされている自分たちの毎日。そんな毎日から脱却したくて、一旦は自分の興味のある薬膳を極めようと思い、長年勤めていた会社を退職する決意をしました。もちろん、社会に帰属して生かしていただいている身ですから、全てを否定するなんてできないけれど、それでも、自分の足で歩いて行きたい。そんな風に思っていました。

先なんて全然見えないけれど、先を見据えていたら怖くて一歩も踏み出せない。わからなくても、目の前に転がってきた石を拾い集める事から始めてみました。不思議なことに「中垣英美として生きていく」そんな風に決めた瞬間から、色々なパズルのピースがはまっていくように面白い人生が展開しています。新しい事に躍起になっているわけではなく、日々やっている事は目の前に転がる石を大切に拾い、磨いていく作業。今は大切な石が多すぎて、なかなか一つ一つをブラッシュアップできずにいるけれど、人生という時間をかけて、ピカピカに輝く石に変えていけたら嬉しいなと思っています。そして、それが出来た時、私という人間がもっともっと輝く人になっていたら嬉しいなと思います。

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