生き易さの秘訣、中庸とは?

陰陽図、皆さんも一度は目にしたことがありますでしょうか?
世の中に白や黒という分断が生まれやすい現代だからこそ、この陰陽図の表す意味や中庸という概念について今一度目を向ける機会になると嬉しいです。
(陰陽の概念については、ページ下部にある関連記事もどうぞ)

その昔、孔子の教えから始まった中庸という考え方、白黒どちらも過不足なく、調和が取れている状態を指しています。
真ん中にあることを中庸と捉える事も多いですが、実は「適当に」、「ほどほどに」という少し脱力したニュアンスも含んでいることをご存知でしょうか?

昨今ひとたびニュースやSNSに目をやると、皆それぞれに、白か黒かの正解ばかりを追い求める風潮が目立ちます。
自然界に目をやると同じ種類の植物でも、一つとして全く同じものは見当たりません。
人間も同じで、100人いれば100通りの答えがあるし、同じ人でも昨日と今日は違っていい。
二度と同じ時を刻めないのが、この世のルールです。

言語にすると意味を狭め、その裏側にある本意を見逃してしまうことも多いですが、隣にいる人と自分とが、1から100まで全く同じ意見ということはないのが普通です。

私が、この中庸という言葉が好きな理由は、中庸とはどちらでもあり、どちらでもない。
そのような曖昧さと共に、全てを内包する大きさを含んでいるからです。

この概念を知っているか、知らないかで、相手の放つ言葉の受け止め方が変わります。

全てはそうでもあり、そうでもない。

この考え方を身につけると、他の意見と対立すること自体が難しくなってくるのです。
だから私は、極端な情報、伝わり方が多い現代こそ、この中庸の概念がもっと広まるといいなと思っています。

中庸になる事の落とし穴

しかし、だんだんと中庸を意識し始めた頃、私はある罠にハマってしまいました。
今日は、私自身が経験した失敗談もお伝えいたします。

中庸を知ると、全てを包み込む懐の深さを手に入れたような気がしてきます。
自分と違う意見があっても、「そうだよね。」とすんなり受け入れることができるようになってきます。
(↑ここまではいい作用かなと思います。)

次第に段々と何かに対して、怒りを覚えることが愚行であるかの様に感じてきます。
何事も穏やかに、中庸を目指しましょう!と。
(↑この辺りから、副作用のような感じで、あれ?自分の中の何かが変だぞ?と違和感を覚えてきました。)

そして、「怒らず、波風立てず、私は中庸!」と、いい人を装って生活していると、明らかにモヤモヤしている感情があったとしても、何でもこい!と全ての意見を受け入れて、本意を見て見ぬフリをしてしまう自分がいました。
(↑この辺で段々と自分らしさってどれ?と、自分の意見がわからなくなってきました。)

本当は、誰かと意見が違った時「それは私の考えとは違う!」とハッキリ言えばよかったのに、中庸を目指すあまり、自分の感情に蓋をしてしまう時期があったのです。

自分らしさって何?

私の思う自分らしさとは、簡単に言うと、誰かとは違う自分を知る事。
白があるから黒とわかるのと同じ様に、相手があるから、自分を知れる。

陰陽 のどこに自分のポイントが置かれているかを、自分以外の人の意見で知る。それがあなたらしさです。

もちろんあくまでも、相手を否定するのではなく、他の意見を良い・悪いとジャッジするのではなく、それは自分とは違うと感じ、知るだけ。

世界でたった一人の自分なので、意見が白や黒に傾くことだって、もちろんたくさんあるのです。
私は中庸を意識するあまり、いつでもどんな意見も、全てを飲み込み、中庸を目指すことが大切だと言う勘違いをしてしまっていました。

中庸とは、中庸であるものであって、中庸になるものではないのです。

孔子の教えでは、人生を懸けて中庸である事を目指します。
私は、少しばかりその概念を知っただけで、中庸になる事を目指してしまっていました。

今ではこの失敗談も含め、中庸である事を目指して生きています。
この価値観を知らなかった時よりも、知った今の方が、楽に、ゆらりと生きられています。

ぜひ皆さんも自分らしさを知る手掛かりと共に、この中庸という概念を取り入れてみてください。
きっと、今よりも視野が広がり、楽に生きられると思います。

いつか、皆さんの中庸にまつわるお話も聞かせてくださいね☆彡。

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